うつ日記(仮)

今年でうつ歴14年になります。最近はうつの薬を止めたこともあって不眠、頭痛、喉の痛み、腹痛などがあります。もう誰も自分のようになってほしくないのでブログを書きます。でも自分と逆の方法を取ったからと言って良くなる保証はありません。自己責任でお願いします。嘘をつくつもりはありませんが日記とか付けていなかったので記憶が曖昧です。

精神科は詐欺&犯罪、新型コロナウィルスの原因

 自分の場合、最初にうつと診断されたのは内科でした。仕事中に喉が痛くて不安でそれでも働いていたら心臓がバクバクってなって・・・。それを内科で言ったら「うつですよ」って言われて20問くらいのテストを受けさせられて、そしたらその結果が中程度のうつでした。でも今よく考えたら喉が痛かったのは働いていたサーバー室がエアコンがガンガン効いていて一緒に働いていた同僚も喉が痛いって言ってたし、不安だったのは入院していた祖母の容体が悪かったり、13年落ちのボロ車に乗っていていつ壊れるか心配だったせいもあるかもしれません。不規則な夜勤で眠れなくて不安だったのかもしれませんが、病院で不安を測るような検査は受けていませんし、不安って誰でもあるものじゃないんですか?心臓がバクバクになったのは不眠で体調不良だったせいかもしれません。受けさせられたテストも「うつ テスト」でググると出てくるSRQ-D東邦大式調査票っていう18問のテストだったと思うが、このテスト、1問目に「身体がだるく疲れやすいですか?」とあるが、例えばキングカズが50歳過ぎてサッカーをやっていたらだるく疲れやすいと感じるんじゃ?でもこれってうつじゃないよね?2問目「騒音が気になりますか?」だって交通量の多い道路脇に住んでいたら騒音が気になるだろうし、3問目「最近気が沈んだり気が重くなることがありますか?」だって悲しい出来事があれば人間誰だって気が沈むんじゃ?そんなこんなで考えていくとなんでもない人でも簡単に「うつ判定」になってしまうんじゃないかと。

実際、この時貰った薬を1週間飲んだけど何の違いも感じられなかった。それで職業訓練校に通い始めたけどある日急に飛び降りたくなって副担任に相談したらすぐに精神科を調べてくれて自分もこの時は病院に行った方がいいと思ったので行ったけど、今思うと行く必要は全然なかった。むしろ行かない方がよかった。通い始めた精神科で出されたパキシルを飲み始めたら攻撃的になって気が付くのがもう少し遅かったら今頃刑務所だったと思う。その後薬を替えたら便秘になってだんだん腹痛がひどくなり病院を転々として最終的に内視鏡の検査を受けたら「憩室炎です。もう治りません」って言われて。その後、心理状態が悪くなっていくのを母が見かねて医者に「テレビで見た光トポグラフィー検査を大学病院で受けられるように紹介状を書いてほしい」と頼んだら「そんなの駄目だ」っていって書いてもらえなかったらしい。なんなの?お前の主観的な診断だけでどんどん悪くなっていっているのに客観的な検査を否定するなんて。もうこの頃の記憶がないんですけど、他の病院に転院したら「様子が分からないからとりあえず入院」ってなって入院したら初日から大量の薬を処方されて・・・。なんで様子が分からないのに大量の薬が出てくるのか?パキシルで攻撃的になってトフラニールで治らない憩室炎になってどんな馬鹿でも精神薬はやばいとわかるはずなのになぜ飲んでしまったのか?他にも入院中嫌なことばかりあったのに誰にもそのことを言わずに退院後も同じ病院に通い続けてしまったのか?これはもう薬による洗脳としか考えられない。その後も憩室炎と診断した医者が「便秘するとまた憩室炎を起こします」って言ったのに、薬を飲み続けて毎年1回のペースで憩室炎を起こして通院。明らかに薬のせいで便秘になり憩室炎を起こしているのに何で飲むのを止めなかったのか?胆嚢炎にもなった。「医療用医薬品の添付文書」には副作用として書いてなかったが、小学生の頃、給食のうどんに付いてきた天ぷらを食べてゲロを吐きそれ以来脂っこいものを食べていなかったのになぜ胆嚢炎に?大量の薬を飲み始めてから2年後くらいになったけどこれって偶然?しかもこの頃からずっと「薬減らせませんか?」って毎回聞いていたのに「このままでいきましょう」って言い続けて、それって何を根拠に言ってるの?なんの検査もせず毎回パソコンを見ながらの5分診療でちゃんとした判断なんてできるの?胆嚢炎になった後、内科で定期的に血液検査とエコー検査を受けてきたけど毎回、γ-GTPやら高脂血症やら脂肪肝やら引っかかって・・・これらは全部「医療用医薬品の添付文書」に書いてある薬の副作用じゃねーか!偶然じゃないよね。しかも内科で運動するように言われて毎日山を登っていたけど後半になると蛇が出てくるんじゃないかとか誰かが後を付けてくるんじゃないかとか不安になって、医者に「後半になって疲れてくると脳で不安が起こってそれを蛇が出てくるんじゃないかとか誰かが後を付けてくるんじゃないかって理由づけているんですかね?」って聞いたら「わかりません、薬出しておきます」って・・・。頭に来て薬飲むの止めたら「あれ?もう14年も経ってるよ・・・」となり、でもそれまで病院から帰ってくると気持ちが悪くなったり、人前に立つと気持ちが悪くなったり、ドラムを叩くと気持ちが悪くなったりしたのが全部なくなった!なんだよ全部薬のせいだったのかよ!その代わり本当はアシュトンマニュアルに沿って少しづつ減薬しなければならないのをほとんど一気に止めたので頭痛や腹痛、手足のしびれ、耳鳴り、のどの痛みが半端ない。自分にもしものことがあった時もためにカルテ開示を申し込んだら「また通いなさい」だって。これはもう完全に犯罪だよ。殺してやろうかと思ったけど実際に殺したら捕まるってのは理解できるし、警察に言おうと思ったけどパキシル飲んでやったことを警察に言ったらなんか自分が捕まりそうだし、裁判しても膨大な時間と金がかかりそうだし、どうしたらいいかと考えていたらこの新型コロナウィルス騒ぎ。これはもう神が「世の中をディストピア化するから警察組織が機能しなくなったらこの精神科医を殺しなさい」と言っているようにしか思えん。つか、向精神薬を作っている製薬会社、それを認可した厚労省、それで金儲けしている精神科医とりあえず全員死ね。

 

精神科の薬はなぜ多い?

 本やネットをみると「薬がどんどん増える一方」とかいう意見をたまに見ますが、医者は薬が多ければ早く良くなると思っているのでしょうか?それとも金儲けのためなのでしょうか?「具合が悪い」というとすぐに「お薬増やしましょう」と言ってくるくせに、「よくなってきている」と言っても「薬を減らしましょう」とはなかなか言ってきません。ある先生は「薬を減らして体調が悪くなると怖いから減らせない」と言っていましたが、じゃあ薬を増やすのは怖くないのでしょうか?薬には必ず副作用があって病院でもらえる薬の説明文に書いてあるのは氷山の一角です。「医療用医薬品の添付文書」(https://www.info.pmda.go.jp/psearch/html/menu_tenpu_base.html)をみると

半端ない数の副作用が表記されています。うつの薬なのに「自殺念慮、自殺企図があらわれることがあります」というものも多くあります。なのに医者はホイホイと薬を増やしていきます。自分が医者だったらむしろ怖くて増やせません。また今処方している薬について表記された副作用が起きていないか注意深くなると思います。患者が嫌な顔をするくらい毎回根掘り葉掘りきいてしまいそうです。そう考えたら5分診療なんてありえないと思います。

 自分の場合は5種類の薬で、長年飲み続けた挙句に色々な人から「多すぎます」と言われましたが、本やネットを見ると10種類、15種類という人がいます。いちばん多かったのはYouTubeにあった32種類でしょうか。実際に会ったり処方箋を見たわけではないので本当かどうかはわかりません。コメントを見るとCCHRという(この時初めて知りました)人権擁護団体の陰謀説というのもありましたが、本当だとしたら普通に考えて32種類は多すぎると思います。風邪を引いたからといって32種類の風邪薬をだす医者はいません。

 そもそも心の病気が薬で治るのしょうか?自分の場合は不眠からうつになったという明確な原因がありましたが、それでも治りませんでした。以前、腰が痛くなった時に鍼灸に通ったことがありました。そこは4~5台のベッドが並んでいてカーテンで仕切られているだけなので隣の人の声が筒抜けでした。ある日、治療を受けていると隣のベッドからおじさんの声で、「家が火事になって、自分以外の家族が焼け死んでしまいうつになってしまいました」と聞こえてきました。このおじさんが病院でうつと診断されたのかどうかは分かりません。でも仮にそうだとして薬を飲んだら治るのでしょうか?薬を飲んでもこのことを忘れたり、亡くなった家族が戻ってきたりすることはありません。もうどうにもならない事だと思います。それを精神科の医師がDSMに照らし合わせて、2週間以上続く抑うつ状態と不眠が認められるからうつですっていって薬を出すのだとしたらこんなにふざけたことはありません。家が火事になって家族が亡くなったのに2週間以内に今まで通りハツラツとした生活に戻れる人がいたとしたらその人の方が異常だと思います。

 うつを治すというのは人によっては知識と経験を持った人が1対1で根気強く対話を重ねていってそれでも治るかどうかはわからないものだと思います。そもそも商業ベースでは成り立たない職業だと思います。それを精神科は隔週に5分診療で「薬出しておきます」っていうのだから期待する方が間違っています。たまには親身になって長時間話を聞いてくれる医者もいるかと思いますが、そんな医者がいたらすぐに評判は広まって患者さんが殺到します。そうしたら診療時間は短くなるか、掛かりたくても掛かれない状態になります。もしうつかなって思ったら精神科に掛かるのも一つの手だとは思います。でも精神科に行く前に何か他のアプローチを考えてみるのも良いかと思います。漢方薬(本物の生薬は高い)、カウンセリング(1時間1万円くらい)、鍼灸(うつに効くつぼがある)、認知行動療法、運動、うつの本を読んで「これは!」と思ってみたものを試してみるなどいくらでもある一方でこれなら絶対というものはありません。うつの人に頑張ってって言ってはいけないと言いますが、動けるうちまたは動けるようになったら頑張って何か良い方法を見つけないと治るものも治りません。自分みたいに医者頼みを続けているとあっという間に10年経ってしまいます。

 今日の新聞に自殺者数が増加傾向にあると載っていました。また「悩みがあったら家族や友人、行政の相談窓口に電話してください」とありました。単に書き忘れたのか紙面上の都合かわかりませんが、精神科に行くようには書いてありませんでした。

2020年

 1月、7日まではほとんど毎日30分走っています。その後は45分ウォークに月末からは2時間半(約12km)のウォーキングになりました。週3で通っていた接骨院も1月から週2になりました。そのほかはテレビを観たり、本を読んだり、しています。相変わらず頭が締め付けられるように痛く、喉も唾がうまく呑み込めず、耳鳴りもするし、お腹もなんか内臓がギューっと絞られるような感じがし生きている感じがしません。たぶんこの頃から「これは夢だ、寝て起きたらきっと14年前に戻れる」と思うようになったと思います。でもそんなの絶対にありえないこともわかっています。

 2月、父のもとに昔交流のあった人から年賀状が届き、家が近かったので父が実際に会いに行ったところ息子さんがうつであることを知ったみたいです。その後、その人の家に一緒に相談しに行く予定でしたが、直前に相手が体調を崩してしまって「市役所の福祉課にいくとよい」と言われたので行ってきました。福祉課で相談したところ、「S病院で同じ薬しか出さないと言われたのは急に薬を替えると体調が悪くなる恐れがあるからだと思う」と言われました。自分がS病院に行ったときは「何とか少ない薬でお願いします」と言っても「情報提供書の通りにしか出せない」とだけ言われ、帰って来てその理由もなぜだか考えませんでしたが、たぶんそういうことなんだろうと思います。でもだったらなぜ一言「急に薬を替えると体調が悪くなる恐れがあるから同じ薬から初めてそこからだんだん減らしていきましょう」と言えないのでしょうか?でも今はそう言われなくてよかったと思います。言われていたらその後に内科、調剤薬局、置き薬の社長が口をそろえて「多すぎる」と言った5種類の薬をまたよく考えずに飲み始めていたかもしれません。またS病院のA医師は皆が「多すぎる」と言った量の薬について「多すぎる」とは思わなかったのでしょうか?どうして診察もせずG病院のK医師の処方に100%迎合するのでしょうか?どうして認知行動療法を受けさせてもらえないのでしょうか?一見さんお断りなのでしょうか?精神科は怪しすぎます。

 3月5日、昨日雨が降って歩きに行けなかったので今日は2時間半歩いてきた。去年の8月に今までの全記憶を書き出そうと思いルーズリーフを買ってきて数日掛けて4年生までの記憶を書き出したが、腕と肩が痛くなって書くのを止めた。ここ数日その続きで5年生からの記憶を今度はワードに書き始めた。それで今日1998年まで書いたのだが、大学を卒業してから最初に勤めたところ(経営者が逮捕されて経営破綻したところ)が気になってグーグルストリートビューで見て愕然とした。22年間に経営破綻していくつかの施設は売却されたり、廃墟のまま放置されたりしていることは知っていた。でもなんか腑に落ちない。なんかどうしても最近まであった施設が急に廃墟になってしまったような感覚になってしまう。やっぱり薬のせいで記憶がごっそり抜き取られてしまったような感覚がする。

2019年

 この年からはカレンダーにその日何をしたか一言書き込むようにしました。

 1月はカレンダーに△が4つついているだけです。体調が悪かったのかもしれません。まだrockin’on BEST DISC500 1963-2007のCDを買い漁っています。

 2月の11日からはほぼ毎日△が付いているので半分の距離だけど毎日歩けていたのだと思います。

 3月、もう4年近く医者に「薬、減らせませんか?」って聞いているのに全然減らしてもらえず、山歩きの後半になると怖くなるので不安になるメカニズムについて聞いたが、「わからない。薬出しておきます。」って言われたの頭に来て、そんな時に友達が「ライブに行こう」と誘ってくれて、出先でお腹が痛くなりたくなかったので出かける3日前に薬を止めました。3月はほとんどの日に〇が付いているので体調が回復してまたフルコースを歩けるようになったのだと思います。

 4月、この時はまだ体調がよくて毎日フルコースを歩いています。映画もたくさん観ています。でもたぶんこの頃から「うわ、もう14年も経ってるじゃん」と感じるようになったと思います。14年間精神科に通い続けこの日記に書いた分の記憶はあるのですが、それと14年という月日の長さがどうしても結びつきません。なんか薬のせいでボーっとさせられていた感じがします。自分が45歳ということも信じられませんでした。あと薬を止めた直後から72kg位あった体重が一気に58kgまで落ちました。穿いていたジーンズがブカブカになりました。いままでは内科の先生に「水分を取って運動して」と毎回のように言われ続けてきたのですが、今度は「これ以上痩せたらまずい」と言われました。また血液検査で炎症反応が見つかり内視鏡を受けたら大腸にポリープが見つかって検査したら悪性だったのでもう一度内視鏡検査を受けて焼いてもらったのもこの頃です。

 5月、忘れもしません。1日に令和になったのでみんなでBBQをしてこの日までは体調はよかったです。それが2日に咳が出始めて最初「あれ、風邪かな?」と思い、風邪薬を飲んだのですが、どんどん咳はひどくなり寝込むようになり3日目には一睡もできなくなりました。ちょうどGW中でかかりつけの内科が閉まっていると思い、当番医のF医院に行きました。そこで溶連菌じゃないかと検査を受けましたが陰性だったので風邪薬をもらって飲みました。でも一向に咳は止まらず、休み明けにかかりつけの内科に行きました。その日から内科でもらった薬に変えましたがよくならず一睡もできない夜が3週間くらい続いたら、朝起きたときに「死にたい」と思うようになりました。「ああ、やっぱり薬を急に止めては駄目だったんだ」と思いましたが、G病院にだけは戻りたくありませんでした。それでK病院を紹介してくれたおばさんがしばらく前に、今は違う病院に行っていて調子がいいと言っていたのを思い出してどこの病院か聞きました。おばさんは「S病院は入院がなく薬も少なくて認知行動療法が受けられる」っていうので早速S病院に行きました。行くと受付の人に「初診は院長先生になります」と言われましたが、無理を言っておばさんと同じA医師にしてもらいました。少し待った後で若い先生と今までの経歴を話してからA医師の診察を受けました。A医師に「何とか少ない薬でお願いします」となんとか頼みましたが、A医師に「G病院から情報提供書を取り寄せて同じ薬しか出せない」と言われ認知行動療法も受けることができず、薬も貰わず受付でお金だけ払って帰ってきました。後日そのことを紹介してくれたおばさんに話したら「もっと食い下がらなきゃだめ」って言われましたが、なんで少量の薬をもらうためにそこまでしなければならないのかと思いました。

 6月になりまだ咳が止まらなかったので耳鼻咽喉科に行ったら喘息と言われ、もらった薬を飲みましたがそれでも咳は止まりませんでした。その内に動悸、頭痛、腹痛、手足のしびれがはじまり、「もう内科にうつの薬を出してもらうしかない」と思いかかりつけの内科に行きました。以前からかかりつけの内科の先生にはうつの薬を飲んでいることは告げてありましたが、この時初めてどんな薬を飲んでいたか話しました。そうしたら先生に「こんなに飲んでいたんですか」って言われ、S病院にも行ったけど同じ薬しか出せないと言われたことも話したら「もう越境して病院に掛かるしかない」と言われました。帰りに調剤薬局で薬のことをきいたら、「多いですよ、たまにこういう先生いるんです」って言われました。この時に内科でパロキセチンを処方してもらって飲み始めましたが、後日うつの本にパロキセチンパキシルと書いてあるのを見つけ飲むのを止めました。薬については神経質になりすぎて不安になるのも良くないと思ってか今まであまりよく調べたことはありませんでした。もっと最初から調べておけばよかったと思います。なお、飲み始めてすぐに飲むのを止めたつもりでしたが、今アマゾンの注文履歴を見たら8月22日になっていました。ほんと記憶が曖昧です。この頃、急にテレビで芸能人をみても名前が出てこなくなりました。元々芸能人は詳しくなかったですし、年のせいもあるかもしれません。

 7月、この頃母が昔買って家に置いてあった本(カバーが掛かっていて何の本だか分らなかった)を読んだらカウンセリングの本でした。その後アマゾンで「医者の9割はうつを治せない」という本を買って読んだらこれもカウンセリングの本でした。この直後友達に会って長い時間話を聞いてもらったら少し落ち着くことができたのを覚えています。8月にアマゾンで「慢性うつ病は必ず治る」という本を買いました。これもまたカウンセリングの本でしたのでカウンセリングがいいかもと思って臨床心理士についてネットで調べたら通えそうな範囲に数人いましたが、大体1時間1万円くらいだったので諦めました。もうこの頃は1日中リビングで寝たきりでした。父がすっと高校野球をテレビで見ていた印象があります。こうなると薬を減らさなかったK部長の判断は正しかったのでしょうか?でもその判断が毎回の5分診察で的確にされていたとは思えません。どうしても「たくさん薬を出して落ち着いていればそれでOK」と考えていたとしか思えません。なぜK病院のパキシルで攻撃的になり、トフラニールで便秘になって憩室炎を起こしたのにG病院で5種類の薬を出されて5年も飲み続けたのか自分でも理解できません。もうK病院に通っている間に頭がおかしくなってすべての判断力を失っていたのかもしれません。もう精神科は誰も信用できません。

 8月、うちには以前から置き薬があって定期的に補充に来てくれるのですが、なんか今まで来ていた若い人が辞めちゃったみたいで代わりに社長が補充に来たので話を聞きました。それで今までずっと5種類の薬を飲んでいたことを告げたら、「普通に会話ができる状態なのに5種類は多すぎる。薬漬けにされたんだよ」と言われました。それでうつに効く漢方があるといわれ、抑肝散を勧めてくれたので内科で処方してもらいました。それからは漢方に興味が沸いて、「うつ消し漢方 自然治癒力を高めれば、心と体は軽くなる!」という本を買って読み、早速父の友人が通っている漢方薬局に連れて行ってもらいました。漢方薬局で話を聞いてもらい、いろいろとアドバイスもしてもらいましたが、体調が悪くて通えそうにないのと、1箱30日分で1万円以上するのと、漢方も結局は薬(もう薬に対して拒否反応が出てしまい内科で貰った薬も飲まなくなり病院も行かなくなりました)とのことでこの漢方薬局には1度しか行っていません。ちなみにG病院について漢方薬局の人は「あそこは重病人がいくところ、みんなフラフラになってる」と言ってました。そのことでG病院に連れて行った母をかなり恨みました。また8月の末から接骨院に通い始めました。母が言うには「先生の奥さんが鍼灸もやってくれる」とのことでしたが、しょせん接骨院だししかもそこを紹介してくれたのはG病院を紹介してくれたのと同じ母の友人だったのですごく迷った結果、もう死にそうだったので行ってみました。そうしたら最初に先生に「うちは東洋医学を元に体全体の調子を整えていく」と言われたのでダメ元でその日から週3回通うことにしました。今でも毎回2時間以上かけて治療してもらっています。

 9月に入りサイクリングに誘ってくれた近所のおじさんとジョギングを始めました。咳はこの頃止まっていましたが、喉と頭と腹が痛くて、普通じゃ走れない状態ですが寝ていても体調は悪くなる一方で「ああ、もう死ぬんだ」と思いました。どうせ死ぬならと開き直って走り始めました。走り始めると走りながら会話しているうちは気分が紛れる感じがしました。この頃から体の不調は精神的なものじゃないかと思い始め、昼間は映画を観たり、本を読んだりして気を紛らわせるようにしました。そのあとすぐにおじさんが忙しくなり一緒に走れなくなったので一人で走り始めました。12月まで膝が痛くなったので少し回数を減らして走り週3回接骨院に通いました。

 体調が悪かったせいもあるかと思いますが、うつの薬を止めてから散財が収まりました。上に挙げた本数冊とジョギングを始めてから買ったランニングシューズ、よく眠れるように買ったカモミールティーと数冊のマンガくらいしか購入履歴にありません。

2018年

 この年の5月にスマートウォッチを買い、それからは近くの山を1時間歩いた日にはカレンダーに〇をつけ始めたので少し記録が残っています。でも雪の降った日にも歩いた記憶があるのでこの年の最初には歩き始めていたと思います。

 2月にDTMの本を買っているのでまだこの頃はDTMを続けていたのだと思います。

 4月にはドラム教則DVDを何本か買いました。

 5月にベースを買っています。これまでたびたびドラムを叩いてみますが、すぐに気持ちが悪くなってしまい「ああ、もうドラムは一生叩けないんだ」と思いベースを買いました。

 この年もすさまじい量のものを購入したり売ったりしています。

 6月は23日間歩きました。たぶんこの頃、近所のおじさんに久しぶりにサイクリングに誘われ、その時に「最初からフルタイムで働くのは厳しいから、広報に載っていた補助教員のようなボランティアの仕事から始めたい」って言ったら近所の中学校の教頭に話を付けてくれて、9月から週1で2時間英語の補助教員のボランティアをすることになりました。でも相変わらずおなかの調子が悪くて不安だったし、帰ってくると毎回必ず気持ちが悪くなりました。今思えば、これはうつのせいではなく薬の過剰摂取によるものではないかと思います。なぜなら薬を止めてからうつが再発しましたが、薬を飲まなかったのでまだ1度も気持ちが悪くなっていません。

 7月は10日間、8月は8日間しか山歩きしませんでした。暑かったのかもしれません。9月は23日間歩きましたが、10月の後半からほとんど歩いていません。11月の後半からまた歩き始めたのだと思いますが、カレンダーには半丸がついているのでそれまでの半分しか歩いていなかったのだと思います。

 

 

 

2017年

 1月に本、rockin’on BEST DISC500 1963-2007を購入しています。高校生のときにビートルズが好きになり、それからクイーンやレッド・ツェッペリン、TOTO、ヴァン・ヘイレンなどを聴きましたが、まだまだ超有名どころしか知らないと思いこの本を買ってからぽすれんやツタヤで洋楽CDを借りまくりました。

 3月になるとファッション関連の本を買っています。今までの人生ずっと着の身着のままで過ごしてきたのになぜか急にファッションに目覚め最初に通販でパンツを買ってから、郊外のショッピングモールへ出掛けるようになり、ジーンズやセーターを買いました。今では全く興味がありません。

 4月になるとDTMがやってみたくなり、初音ミクのソフトや、オーディオインターフェース、ヘッドフォンなどを買っています。

 9月に入ったころ、サイクリングに誘ってくれた近所のおじさんが、「今度はトレッキングに行こう」と誘ってくれたのでうれしくてリュックやトレッキングシューズ、水筒などを購入。でも未だに一度も行っていません・・・。

 今思えば明らかに行動が異常です。物を買いすぎています。でもこの頃は全く気が付きませんでした。これまで一番辛かった2012-2013年頃に比べて元気になったので色々なものに興味が出て来てるのだとくらいにしか思っていなかったのかもしれません。

 この年は1年を通してヤフオクで売ったり買ったりしています。

2016年

 年初に自転車用の工具や替えチューブ、ミラーなどを購入しているのでこの頃クロスバイクに乗って出かけるのを再開できていたのだと思います。この年は1年を通してヤフオクで不用品の売却もしています。

 2月にはラズパイ本体とキーボード、マウス、microSDカード一式を購入しています。ラズパイなんて全く買うつもりがなかったのに物欲に負けて買ってしまいました。

 3月にはキーパーグローブを購入しています。たぶんフットサルに復帰できたもののいきなりフィールドで走り回るのは無理そうなのでまずはキーパーからということでキーパーグローブを買ったのだと思います。他にもDVDBOXだとかエアガンも買っています。

 この頃も毎回のように先生に「薬、減らせませんか?」と聞いていたと思います。でも毎回、「このままでいきましょう」といわれ、まだこの頃は病院から戻ると毎回気持ちが悪くなっていたので、まだだめかと思って薬を飲んでいたと思います。K病院に通っていた時に落ち着いているように見えたのに地震でうつが悪化した記憶があって、まだ先生の判断は絶対だと信じていたのかもしれません。

 7月に入り、ドラム教本やクラッシュシンバル、ペダルを購入しています。でもまだこの頃はドラムを叩くとすぐに気持ちが悪くなっていたはず。これもまた叩きたいけど叩けないという思いが、物欲に変わっていったのかもしれません。

 8月はサーバーを勉強したくなって中古のPC/AT機とLinux関連の本を数冊購入しています。

 

11月からはアニソンのCDを何枚か買っています。