うつ日記(仮)

今年でうつ歴14年になります。最近はうつの薬を止めたこともあって不眠、頭痛、喉の痛み、腹痛などがあります。もう誰も自分のようになってほしくないのでブログを書きます。でも自分と逆の方法を取ったからと言って良くなる保証はありません。自己責任でお願いします。嘘をつくつもりはありませんが日記とか付けていなかったので記憶が曖昧です。

2019年

 この年からはカレンダーにその日何をしたか一言書き込むようにしました。

 1月はカレンダーに△が4つついているだけです。体調が悪かったのかもしれません。まだrockin’on BEST DISC500 1963-2007のCDを買い漁っています。

 2月の11日からはほぼ毎日△が付いているので半分の距離だけど毎日歩けていたのだと思います。

 3月、もう4年近く医者に「薬、減らせませんか?」って聞いているのに全然減らしてもらえず、山歩きの後半になると怖くなるので不安になるメカニズムについて聞いたが、「わからない。薬出しておきます。」って言われたの頭に来て、そんな時に友達が「ライブに行こう」と誘ってくれて、出先でお腹が痛くなりたくなかったので出かける3日前に薬を止めました。3月はほとんどの日に〇が付いているので体調が回復してまたフルコースを歩けるようになったのだと思います。

 4月、この時はまだ体調がよくて毎日フルコースを歩いています。映画もたくさん観ています。でもたぶんこの頃から「うわ、もう14年も経ってるじゃん」と感じるようになったと思います。14年間精神科に通い続けこの日記に書いた分の記憶はあるのですが、それと14年という月日の長さがどうしても結びつきません。なんか薬のせいでボーっとさせられていた感じがします。自分が45歳ということも信じられませんでした。あと薬を止めた直後から72kg位あった体重が一気に58kgまで落ちました。穿いていたジーンズがブカブカになりました。いままでは内科の先生に「水分を取って運動して」と毎回のように言われ続けてきたのですが、今度は「これ以上痩せたらまずい」と言われました。また血液検査で炎症反応が見つかり内視鏡を受けたら大腸にポリープが見つかって検査したら悪性だったのでもう一度内視鏡検査を受けて焼いてもらったのもこの頃です。

 5月、忘れもしません。1日に令和になったのでみんなでBBQをしてこの日までは体調はよかったです。それが2日に咳が出始めて最初「あれ、風邪かな?」と思い、風邪薬を飲んだのですが、どんどん咳はひどくなり寝込むようになり3日目には一睡もできなくなりました。ちょうどGW中でかかりつけの内科が閉まっていると思い、当番医のF医院に行きました。そこで溶連菌じゃないかと検査を受けましたが陰性だったので風邪薬をもらって飲みました。でも一向に咳は止まらず、休み明けにかかりつけの内科に行きました。その日から内科でもらった薬に変えましたがよくならず一睡もできない夜が3週間くらい続いたら、朝起きたときに「死にたい」と思うようになりました。「ああ、やっぱり薬を急に止めては駄目だったんだ」と思いましたが、G病院にだけは戻りたくありませんでした。それでK病院を紹介してくれたおばさんがしばらく前に、今は違う病院に行っていて調子がいいと言っていたのを思い出してどこの病院か聞きました。おばさんは「S病院は入院がなく薬も少なくて認知行動療法が受けられる」っていうので早速S病院に行きました。行くと受付の人に「初診は院長先生になります」と言われましたが、無理を言っておばさんと同じA医師にしてもらいました。少し待った後で若い先生と今までの経歴を話してからA医師の診察を受けました。A医師に「何とか少ない薬でお願いします」となんとか頼みましたが、A医師に「G病院から情報提供書を取り寄せて同じ薬しか出せない」と言われ認知行動療法も受けることができず、薬も貰わず受付でお金だけ払って帰ってきました。後日そのことを紹介してくれたおばさんに話したら「もっと食い下がらなきゃだめ」って言われましたが、なんで少量の薬をもらうためにそこまでしなければならないのかと思いました。

 6月になりまだ咳が止まらなかったので耳鼻咽喉科に行ったら喘息と言われ、もらった薬を飲みましたがそれでも咳は止まりませんでした。その内に動悸、頭痛、腹痛、手足のしびれがはじまり、「もう内科にうつの薬を出してもらうしかない」と思いかかりつけの内科に行きました。以前からかかりつけの内科の先生にはうつの薬を飲んでいることは告げてありましたが、この時初めてどんな薬を飲んでいたか話しました。そうしたら先生に「こんなに飲んでいたんですか」って言われ、S病院にも行ったけど同じ薬しか出せないと言われたことも話したら「もう越境して病院に掛かるしかない」と言われました。帰りに調剤薬局で薬のことをきいたら、「多いですよ、たまにこういう先生いるんです」って言われました。この時に内科でパロキセチンを処方してもらって飲み始めましたが、後日うつの本にパロキセチンパキシルと書いてあるのを見つけ飲むのを止めました。薬については神経質になりすぎて不安になるのも良くないと思ってか今まであまりよく調べたことはありませんでした。もっと最初から調べておけばよかったと思います。なお、飲み始めてすぐに飲むのを止めたつもりでしたが、今アマゾンの注文履歴を見たら8月22日になっていました。ほんと記憶が曖昧です。この頃、急にテレビで芸能人をみても名前が出てこなくなりました。元々芸能人は詳しくなかったですし、年のせいもあるかもしれません。

 7月、この頃母が昔買って家に置いてあった本(カバーが掛かっていて何の本だか分らなかった)を読んだらカウンセリングの本でした。その後アマゾンで「医者の9割はうつを治せない」という本を買って読んだらこれもカウンセリングの本でした。この直後友達に会って長い時間話を聞いてもらったら少し落ち着くことができたのを覚えています。8月にアマゾンで「慢性うつ病は必ず治る」という本を買いました。これもまたカウンセリングの本でしたのでカウンセリングがいいかもと思って臨床心理士についてネットで調べたら通えそうな範囲に数人いましたが、大体1時間1万円くらいだったので諦めました。もうこの頃は1日中リビングで寝たきりでした。父がすっと高校野球をテレビで見ていた印象があります。こうなると薬を減らさなかったK部長の判断は正しかったのでしょうか?でもその判断が毎回の5分診察で的確にされていたとは思えません。どうしても「たくさん薬を出して落ち着いていればそれでOK」と考えていたとしか思えません。なぜK病院のパキシルで攻撃的になり、トフラニールで便秘になって憩室炎を起こしたのにG病院で5種類の薬を出されて5年も飲み続けたのか自分でも理解できません。もうK病院に通っている間に頭がおかしくなってすべての判断力を失っていたのかもしれません。もう精神科は誰も信用できません。

 8月、うちには以前から置き薬があって定期的に補充に来てくれるのですが、なんか今まで来ていた若い人が辞めちゃったみたいで代わりに社長が補充に来たので話を聞きました。それで今までずっと5種類の薬を飲んでいたことを告げたら、「普通に会話ができる状態なのに5種類は多すぎる。薬漬けにされたんだよ」と言われました。それでうつに効く漢方があるといわれ、抑肝散を勧めてくれたので内科で処方してもらいました。それからは漢方に興味が沸いて、「うつ消し漢方 自然治癒力を高めれば、心と体は軽くなる!」という本を買って読み、早速父の友人が通っている漢方薬局に連れて行ってもらいました。漢方薬局で話を聞いてもらい、いろいろとアドバイスもしてもらいましたが、体調が悪くて通えそうにないのと、1箱30日分で1万円以上するのと、漢方も結局は薬(もう薬に対して拒否反応が出てしまい内科で貰った薬も飲まなくなり病院も行かなくなりました)とのことでこの漢方薬局には1度しか行っていません。ちなみにG病院について漢方薬局の人は「あそこは重病人がいくところ、みんなフラフラになってる」と言ってました。そのことでG病院に連れて行った母をかなり恨みました。また8月の末から接骨院に通い始めました。母が言うには「先生の奥さんが鍼灸もやってくれる」とのことでしたが、しょせん接骨院だししかもそこを紹介してくれたのはG病院を紹介してくれたのと同じ母の友人だったのですごく迷った結果、もう死にそうだったので行ってみました。そうしたら最初に先生に「うちは東洋医学を元に体全体の調子を整えていく」と言われたのでダメ元でその日から週3回通うことにしました。今でも毎回2時間以上かけて治療してもらっています。

 9月に入りサイクリングに誘ってくれた近所のおじさんとジョギングを始めました。咳はこの頃止まっていましたが、喉と頭と腹が痛くて、普通じゃ走れない状態ですが寝ていても体調は悪くなる一方で「ああ、もう死ぬんだ」と思いました。どうせ死ぬならと開き直って走り始めました。走り始めると走りながら会話しているうちは気分が紛れる感じがしました。この頃から体の不調は精神的なものじゃないかと思い始め、昼間は映画を観たり、本を読んだりして気を紛らわせるようにしました。そのあとすぐにおじさんが忙しくなり一緒に走れなくなったので一人で走り始めました。12月まで膝が痛くなったので少し回数を減らして走り週3回接骨院に通いました。

 体調が悪かったせいもあるかと思いますが、うつの薬を止めてから散財が収まりました。上に挙げた本数冊とジョギングを始めてから買ったランニングシューズ、よく眠れるように買ったカモミールティーと数冊のマンガくらいしか購入履歴にありません。